美術館で鑑賞力を付けよう。
美術鑑賞は、楽しく感性を刺激するばかりではない。
対話による鑑賞が、言語化力や課題解決力を育てる。

東京国立近代美術館(MOMAT)では対話によるギャラリートーク「所蔵品ガイド」を毎日開催しており、その手法は小学校の美術鑑賞プログラムとしても利用されている。企画課教育普及室主任研究員の一條彰子氏に話を聞いた。

MOMATのギャラリートーク

一條彰子(いちじょう あきこ)
東京国立近代美術館企画課主任研究員。セゾン美術館勤務を経て1998 年より東京国立近代美術館に教育普及担当学芸員として赴任。現在、解説ボランティアを養成・運営しつつ、一般や学校向けの教育プログラムを行っている。2006 年より独立行政法人国立美術館本部の主任研究員を兼任し、指導者研修やアートカード制作に携わる。
 

 10人ほどの小学生の一団が床に座って1枚の絵画を見ている。描かれているのは、青空の下に赤土がむき出しの上り坂。白い塀と草木の生える土手が両脇に沿い、道を横切る長い2本の影。

 子どもたちに、ボランティアガイドが「あの坂道を上って行ったら、何があるだろう?」と問いかける。すると、子どもたちは「海が見える」「街がある」と声を上げ、「季節はいつかな?」「夏!」「海に飛び込みたい」と会話が始まる。

 MOMAT の小学生向けギャラリートークは、子どもたちがグループごとに、展示されている絵画や彫刻の前で、まずは自分の目でじっくりと観察する。ボランティアガイドは作品の解説はせず、進行役として子どもたちの声を引き出す。1作品につき15分かけて行い、3作品を鑑賞する。

 そこでは、子どもが頭の中で想像したことを自分の言葉で語り、感じた理由を説明し、根拠づけしていく。そして、他の子どもの感想に耳を傾け、多様な考えを知る。

 企画課教育普及室主任研究員の一條彰子氏は、MOMAT のギャラリートークは「対話による鑑賞」だと言う。「まず一人で観察する。その間に、子どもたちは絵の世界に入り込みます。その後に友だちと感じたことを共有することで、同じものを見ているのに、それぞれ感じることが違うのだと気づく。『なるほど、美術館で鑑賞力を付けよう。美術鑑賞は、楽しく感性を刺激するばかりではない。対話による鑑賞が、言語化力や課題解決力を育てる。東京国立近代美術館(MOMAT)では対話によるギャラリートーク「所蔵品ガイド」を毎日開催しており、その手法は小学校の美術鑑賞プログラムとしても利用されている。企画課教育普及室主任研究員の一條彰子氏に話を聞いた。MOMATのギャラリートークそういう見方もあるのか』『でも自分はこう思う』など、『対話による鑑賞』を繰り返していくのです」。

 対話による鑑賞の魅力を、「絵の解釈に正解はありません。常識の有無や知識量に関係なく、一人ひとりの感性が尊重されます。子どもでもおとなでも、誰もが肯定される平等で安全な、日常にはあまりない場が生まれるように思います」と一條氏は分析する。

美術の「見方」を学校教育で

 この美術の鑑賞法は、1980年代にニューヨーク近代美術館の元教育部長フィリップ・ヤノウィン氏らが提唱した「ビジュアル・シンキング・ストラテジー(VTS)」が基になっている。日本には90年代に紹介され、MOMATは日本人の教育に合うようカスタマイズして、2003年から開始したガイドプログラムに取り入れた。しかしプログラムの定着には時間を要した。海外の美術館では、作品の感想を口にしながら見るのが一般的だが、日本では静かに鑑賞すべきものという風潮があったためだ。鑑賞教育が最近注目を浴びている背景には、学習指導要領の改訂の影響もある。2008年の改訂では、描いたり作ったりする「表現」だけではなく「鑑賞」も充実させることが指導され、2017年の改訂では、「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)が謳われた。

 小学校からギャラリートークに参加するのは、主に5、6年生が多いというが、一條氏は4年生までに体験してみてほしいと強調する。「思いついたことをぱっと言えて、作品の世界に最もすんなりと入れるのが3、4年生くらいという印象です。高学年になると殻を破って発言するのに時間を要することもあります」。また、低学年が対象の場合は、棒の先にアリの絵を付けて、「もしアリがこの絵の中にいたら何が見えているかな?」など、作品世界に入りやすい工夫もするという。 「小中学校の授業では、『表現』の陰に『鑑賞』は隠れがちですが、ほとんどの人は、おとなになったら鑑賞する立場になります。学校で『美術の見方』を教えてもらわずに、鑑賞の楽しみを知らないおとなになってしまうのはもったいない。初めて見る作品でも、背景や伝えたいメッセージを解釈してみるのが美術鑑賞の醍醐味です。その面白さに気付く『見る力』を育むのが、ギャラリートークだと思います」と言う。

美術鑑賞で培う2つのスキル

 おとなになった時に、美術鑑賞が知識型の一般教養ではなく、自分の想像力を試すような興味の対象であったなら、旅行や休日の過ごし方が豊かになるだろう。それは美術に限らず、他の芸術やスポーツ、ホビーであってもいい。一條氏は「美術的な感性を幼少期に育てることで、より汎用的に学力に好影響を与えると言われている」と力を込める。

 その一つ目に挙げるのは「言語化能力」だ。自分の感情や考え、意見を言語化して相手に伝える力は、学校や習い事の場でのコミュニケーションの基礎となる。

 二つめは「クリティカルシンキング」。この言葉の定義は様々あるが、目の前で起こる事象を様々な角度から捉えて検証し、課題を解決する力だ。「同じ絵を見ていても、人によって感じ方が違い、それぞれが思ったことを口にします。それらの意見を整理して、自分の考えと照らし合わせて、絵の解釈を深めるという作業に価値があります」と一條氏。

 ITやSNSの発達で、有象無象に情報があふれる中で、子どもたちにも情報を取捨選択して、自分の意見を持ち、自分の言葉で発信する力が求められている。美術を介した対話は、人の成長につながる本質的な学習になりそうだ。

おとなにも有益な美術鑑賞

「美的感覚とビジネススキルの相関を説いた書籍がベストセラーになるなど、最近美術鑑賞が仕事の創造性も高めると注目を集めています」と一條氏は言う。

 MOMATでは、おとな向けにも毎日14時から「所蔵品ガイド」というギャラリートークを開催しており、平日にスーツ姿の人たちもよく訪れるそうだ。ビジネスの場でも経験や数字データだけでなく、観察力や発想力が要求される時代を迎えている。

 おとなの場合は歴史や背景を知ることで、より作品が身近になる効果があるが、対話による美術鑑賞の方法は子ども対象の場合と変わらない。例えば冒頭の『道路と土手と塀(切通之写生)』は「東京都渋谷区の初台あたりを描いています。明治神宮が造営されていた頃で、都市開発の最中で土を切り崩して通した道の一つ。むき出しの赤土は関東ローム層。今ではマンションが立ち並ぶエリアですが、この絵について立て看板が出ています」という。家族で美術鑑賞をして、写生された地へ足を延ばせば、対話もいっそう楽しくなるかもしれない。

 名作と折り紙付きの作品ではなくても、子どもたちが互いの作品を批評し合っても、対話による美術鑑賞は成立する。ではなぜ幼少期から一流の作品に触れることが必要か。

「私の感覚では、名作には、具象であれ抽象であれ『私のために描かれたのではないか』と感じるような、普遍的な何かが潜んでいるように思います。だから誰が何回見ても飽きないのです。年齢など、見る側の変化によっても感じるものは変わります。人生の環境変化に合わせて、新しい解釈を楽しめるのが色あせない美術だと思います」と、一條氏は美術鑑賞の魅力を語ってくれた。


東京国立近代美術館
〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園 3-1
URL: http://www.momat.go.jp

〈アクセス〉
竹橋駅(東京メトロ東西線)1b出口より徒歩3分
〈開館時間〉
10:00-17:00(金・土曜日は10:00-20:00)
 ※入館は閉館30分前まで
〈観覧料〉
所蔵作品展 一般500円 大学生250円
 ※高校生以下および18歳未満、65歳以上は無料
 ※企画展の開館時間および観覧料は別に定める
〈所蔵品ガイド〉
一般向けは、開館日の毎日14時から(申込不要)、子ども向けは、学校の授業ほかの教育活動での団体来館時のみ(要申込)
〈休館日〉
月曜日(祝日または祝日の振替休日となる場合は開館し、翌日休館)展示替期間、年末年始

冊子「スクールダイヤモンド2019年新春号」より