風を体感して体全体で遊ぶ「風のミュージアム」
風が見えるアートは、新宮晋さんの枠にはまらない
自由な心とたくさんの人の手でつくられた

風が吹く。
赤や黄色の物体が複雑な動きをしながらくるくる回る。雲や木々と呼応するように回リ続ける。
兵庫県三田市の「風のミュージアム」は新宮晋さんのアート作品が展開する一大空間だ。
福知山線三田駅から出る路線バスに乗って出かけた日は、雨まじりの風が吹いていた。
青空ではないのを残念に思っていたらそうではなかった。作品が強い風に乗って翻る。
池の水面に立つさざ波が美しい。田園の自然が感じられた。
この誰もやらなかったアートをつくった新宮晋さんという人の頭の中はどうなっているのだろう。
好奇心を抑えきれずに少し離れたところにあるアトリエをお訪ねした。

風のロンド

―― 風で動く立体作品をおつくりになった契機はあったのでしょうか。

 ぼくは小さいころから絵がうまいうまいと言われて、だったら絵の道に進めばいいのかなと、東京藝術大学に入学したのですが、入ったら「絵描きという職業は存在するのか」という疑問にとらわれました。今でもそれはわかりません。

 ただ、純粋にイタリアの中世から初期ルネサンスにかけての絵画が好きでした。ジョット、マサッチオ、ピエロ・デラ・フランチェスカ…。そこでぼくはイタリア語の勉強を始め、イタリア大使館に出入りして、卒業するとイタリア政府給費留学生としてローマに行きました。1960年の秋、ローマ・オリンピックが終わった直後でした。

 イタリアの古い寺院に入ると、フランチェスカが確かにここに立って、漆喰を塗って絵を描いたんだなと感じられる。あの時代は、タブロー(絵画)の形ではなく、壁にじかに描くフレスコ画だったりモザイクだったり、建物と一緒になっていました。その場所にあるべくして描かれたのです。

 そして「ルネサンスはすごいな」と改めて思いました。絵も描くけれど、自然観察をしながら建築もやるし工学も研究する。あの時代のイタリアの画家は宗教・政治と密着しているので、そのための絵が多いのだけれど、それはそれで目的がはっきりしている。でも、現代のぼくにはそういうものもない。自分は何をやるかなあ、と思う日々はイタリアへ行っても続きました。

 2年間で課程を修了し、少しは絵が売れるようになっていたのですが、抽象画を描き出したら次々おもしろい形が生まれてくる。これは四角い枠の中に入れておくことはない、と切り取って空中にぶら下げた。そう、壁から離れたのです。そうしたら裏側も気になる。

里山風車

―― ずっと油絵を専攻していらしたのが、立体制作へ。次は動くものへと変化したのですね。

 鉄の丸棒を曲げて骨組みをつくり、ねぶたのように紙を貼り付けて立体絵画のようなものをつくりました。それを庭に持って出て写真を撮ろうとしたら、風が吹いて動いてしまう。動くのもおもしろいな、風に合う形もあるんじゃないか、動き続けるものができないだろうか、と。こいのぼりのように風で動かされるものではなく、風をエネルギーにして動く立体にしたくなった。

 そうしたら、子どものころ手づくりの道具で遊んでいた感覚がよみがえったのです。野球のボールも自分でつくったし、鉄道模型もレールからつくった。

 ぼくは四人兄弟の末に生まれたのですが、両親は、とくに母は何でもさせてくれました。将来この子は何になるかわからない。その時にちょっとした基礎知識があったほうがいいと思って、いろいろ伏線を張ってくれたのだと思います。音楽が好きだったぼくに声楽の先生をつけてくれて、その先生は作曲も教えてくれた。

 ぼくが立体制作を始めた時、イタリアの先生には嘆かれました。でも、ぼくの気持ちは戻らず、売れ始めていた絵を描くこともやめ、生活のために日本人に観光ガイドをするアルバイトをしながら溶接道具などを揃えて立体制作に励みました。

 そんな時にご案内したお客様の一人に造船所の社長さんがいました。非常に美術に詳しい方で、ぼくにこうおっしゃったのです。「日本に帰っておいで、あなたが出たころの日本とは違うよ。あなたは手づくりのフォークアートをやるか、インダストリアルアートをやるか、分岐点に来ている。インダストリアルなら私は手伝える。造船所には何でもある」。

 ぼくは6年間のイタリア生活に別れを告げて帰国。社長は1500人もの人が働く造船所の中にアトリエをつくってくださいました。そこから、ぼくは大がかりな動く立体アートをつくれるようになりました。

すい星

双子星

風の結晶

新宮 晋 (しんぐう すすむ)1937年大阪生まれ。東京芸術大学絵画科を卒業後、イタリアに留学。6年間の滞在のうち、風で動く作品を作り始める。以来、自然エネルギーで動く作品を世界各地に作り続けている。1971年ハーバード大学視覚芸術センター客員芸術家。2000-2001年 地球上の僻地6ヶ所の自然の風景の中に作品を設置し各地の人々と交流をはかる「ウインドキャラバン」を開催。「いちご」「くも」「ことり」「旅する蝶」など絵本の著作も多い。自身の作品を常設する「新宮 晋 風のミュージアム」を拠点に世界に発信を続ける。

――たくさんの作品を制作され、絵本やポップアップ絵本も出版されています。制作依頼はどのように受けられるのですか。

 ポップアップ絵本は、フランスのガリマール(Gallimard)という出版社が勧めてくれてつくるようになりました。パリの画材屋さんで好きな色の紙を何枚か買って、はさみでチョキチョキやっていたら「紙は日本人に合っている」とおもしろくなって、ポップアップ絵本になりました。イタリア、スペイン、中国でもほぼ同時に出て、日本でも出版されています。

 ぼくがつくれるものを考えていたのでは限界があります。ぼくがつくりたいものを考えていれば、つくれる技術が向こうから来る。そうすると、ぼくが考えていたより、もっと遠くまで行けます。

 ぼくは、いろいろな方に、ぼくのできることを見つけてもらい、ぼく一人ではできないことができました。

 作品は、置く場所に立って構想します。一作ごとに、ぼくもやってみないとわからない。つくった本人がびっくりするのだから、観る人も驚くでしょう? お会いしたこともない外国の方がどこかで僕の作品をご覧になって、注文してくださったこともありました。

 作品をつくるだけが作家じゃないな、と考えるようになって、数年前から風のミュージアムのパフォーマンスアートに力を入れています。年に2回、お能をやったりジャズをやったり。小鼓の大倉流十六世宗家大倉源次郎さんが、「田楽とか猿楽とかはこういう場所から生まれたものですからやりましょう」と、あぜ道で三番叟を演じてくださったのが始まりです。それから、現代音楽、ジャズ、ニューポップスなどいろいろな分野の若いアーティストが一緒にやりたいと集まるようになり、すごく楽しい。シンガーソングライターのためにぼくが作詞もしました。

 今考えていることは「地球アトリエ」です。風のミュージアムの隣に建設したいと、兵庫県に提案しています。昆虫のメカニズムで動く乗り物や万華鏡を見上げるカフェ…。美しい田園は、日本国内にたくさんあるけれど、「風のミュージアム」や「地球アトリエ」があるから三田に行こうと思ってくれたらいいな、と思うわけです。

 アートは、フロムハートトウハート。心から心へ。人と人を、人と自然をつなぐのです。


ソアリング

新宮晋 風のミュージアム
Susumu Shingu WIND MUSEUM

兵庫県に寄贈された「里山風車」と風で動く12点の彫刻が常設展示されている野外ミュージアム。兵庫県では「北摂里山博物館( 地域まるごとミュージアム)」構想の情報発信のシンボルと位置付け、年間を通して開放している。年2回、新宮 晋が企画する「風の能」「いちごエクスプレス」「風のジャズ」などの野外パフォーマンスが展開される。

http://windmuseum.jp/
[所在地]兵庫県三田市尼寺(にんじ)968
兵庫県立有馬富士公園休養ゾーン
[開園時間]9:00 ~17:00 入園無料
[問合せ]TEL.079-562-3040

冊子「スクールダイヤモンド2018年春号」より