英語習得の第一歩は
自分の気持ちを伝えたいという思いを
育むことから始まる

小学校の英語が公立校でも教科化されることが決まり、就学前から英語教育への関心が高まっている。
教育の第一の要素である言語教育において、英語をどのように位置付ければよいのか。
就学前および小学校低学年の子どもたちの英語教育の在り方について考える。

公立小学校では英語が教科に 私立も英語教育の強化が進む

「英語教育に関する調査」
(株式会社ネオマーケティングの運営する「アイリサーチ」の
webアンケート、2012年7月実施)による

 社会のグローバル化が急速に進むにつれ、国際共通言語である英語を使いこなせるようになることは日本の将来にとって不可欠であるという認識のもと、文部科学省は2011年度より小学5・6年生で年間35単位時間(1単位時間は45分)の「外国語活動」として英語を必修としてきた。さらにインターネットやIT業界、国際的なビジネス社会における英語の使用が予想以上に加速していることに対応し、文科省の計画する英語教育も前倒しされることになった。

 2020年度に小学3・4年生で外国語活動が必修となり、小学5・6年生は教科として外国語(英語)学習が始まる。

 外国語活動においては、音声を中心に外国語に慣れ親しむ活動を通じて言語や文化への理解を深め、コミュニケーション能力の素地を養うことを目標に置いている。教科書が定められているわけではなく、教員がそれぞれ学習内容を考え、教材などを工夫して行う。評価の対象とはならない。英語が教科となると、文部省検定合格の教科書を使用し、成績評価をしなくてはならない。授業時間は70単位時間に倍増する。

 私立小学校は例外なくずっと以前から、英語教育を取り入れているが、ここにきて専科教員や英語ネイティブ教員を増やし、時間数も増やすなどの強化をする学校が目立つ。

 このような英語教育の見直しが行われるなかで、子どもを持つ保護者の英語教育熱もいやがうえにも高まる(図1)。日本語も未熟な子どもに英語を教えることに不安を感じる保護者、早いほど有利と幼児の英語教室に駆け込む保護者とさまざまだ。

 こうした潮流のなか、幼児の英語教育は何をすればよいのか。

 この問いに答えてここからは、大学、高等学校、中学校、小学校、幼稚園とどの年代の教育現場でも英語教育の実績があり、NHKの子ども向け英語番組の企画を手掛け、現在は昭和女子大学附属昭和小学校校長・同こども園統括園長を務める小泉清裕氏が、人間が言葉を発するという観点から英語教育の基本について語る。

人は「話す」ことから言語を獲得する。気持ちや情報を伝えたくて言葉を覚える

小泉清裕(こいずみ・きよひろ)氏
昭和女子大学評議員・附属昭和小学校校長・附属昭和こども園統括園長/日本児童英語教育学会(JASTEC)理事

 英語教育についてお話しする前に、まず、私たち人間はなぜ言葉が使えるのかという点について考えてみたいと思います。

 人間の歴史は600万年から700万年くらい前に遡るといわれています。この長い歴史のなかで、人間は言葉を使う能力を獲得しました。猿に1万時間言葉を教えても、話せるようにはなりません。猿は言葉を使う能力を持っていないのです。しかし人間は、直立二足歩行を行う能力と同じように、700万年かけて言葉を使う能力を遺伝子の中に組み込んできました。

 ただしその能力も、それを活用する環境にいなければ活かすことはできません。さらにいえば、言葉を使いたいという思いが起きなければ、使うことはありません。これは、言葉を学ぶうえで非常に大切な点です。

 お母さんや家族は、生まれたばかりの赤ちゃんに対して、「おっぱいが欲しいの?」「ママと買い物に行きましょうね」などと、何かをするたびに話しかけているはずです。その言葉は、水が一滴一滴落ちるように、赤ちゃんの中の言葉のコップに注がれます。そして生後1年ほどしてコップがいっぱいになり、そこにさらに言葉が一つ二つポタッポタッと注がれると、コップの縁から水が溢れるように赤ちゃんの口から言葉がこぼれ出ます。多くの場合「ママ」や「マンマ」と。

 もちろん、赤ちゃんの言葉のコップにはほかにもたくさんの言葉が入っているのですが、最初に出てくるのは赤ちゃんにとって一番大切で、自分が生きていくうえで重要な言葉として、選び出された言葉です。

 耳から聞いた言葉を反復して言葉を発するのです。ここでは触れませんが、耳が不自由な場合の言語教育がいかに困難か想像に難くありません。

言葉の習得は人間関係の構築が大前提

 母語を習得する段階では、豊かな言葉に触れることが非常に大切です。3歳くらいまでの間に、子どもにどれだけたくさんの言葉をかけているかが、その後の言葉の習得に影響します。なぜなら、それが土台になるからです。木にたとえれば、それは木の根です。外からは見えないけれど、根が大きく育っていれば木は上にも育っていきます。たくさん「聞く」経験が、話すことにつながるのです。

 話すということは、ただ口から音を出すことではありません。1歳の赤ちゃんでさえ、自分の思いや自分が持っている情報を誰かに伝えたいという気持ちから発せられるものです。このような「言葉を使いたい」という気持ちは、学校で教育するというより、生まれてから家庭においてどのような学びをしてきたかが大きく影響します。

 母語を習得する国語教育において、言葉を使ってみたいという気持ちや自分の思いを言葉に乗せて伝えたいという気持ちを持っていないと学習意欲はわきません。言語が必要であることに気づけば、国語の時間が好きになるでしょう。

 これは英語の習得にも通じており、思いを伝えたいという気持ちを持っていない子どもに、突然、「英語の勉強をしましょう。さあ、話してみましょう」といってもできるものではありません。子どもたちが外国語を学ぶ際には、まず言葉を使いたいというモチベーションを上げることが重要です。そのためには、いろいろな人と人間関係を構築できる力が求められます。言葉を使うことは人とつながることですから、人間関係が構築できない、人間関係を楽しめない子どもが言葉を学ぶのは困難とさえいえます。母語教育の大切さは、実はここにあるのです。

生活言語体験から学習言語体験へ

 言葉の体験には二つあります。一つは生活言語体験、もう一つは学習言語体験です。

 生活言語体験とはまさに生活をするなかでの言葉の体験で、この体験がなければ学習言語体験に移行することはできません。

 一般的に、リスニング(聞く)の時間が1万時間になればその言語に精通し、言葉として聞き分けられるようになると考えられています。周囲の人がかける言葉や、ビデオやDVDなどを見てお話にのめり込んで聞いている言葉などを含めて、日本語に触れている状況の1万時間が、どれほどの年数になるのか計算してみると、早い子どもで4年半くらい、遅い子どもで6年くらいとみられます。1年半の開きがありますが、早くから文字に興味を持つ子どももいれば、なかなか持てずにいる子どももいるといった程度の違いで、急ぐことはありません。

 生活言語体験によっておよそ自分の言葉として理解できるようになったところで小学校に入学し、「あいうえお」を勉強するようになるわけです。これは、生活言語体験から学習言語体験へと移行する、理にかなった道筋です。

平成26年度「小学校外国語活動実施状況調査」
(文部科学省)

 では英語はどうでしょうか。こうした二つの体験が必要であるにもかかわらず、中学校へ入るとほとんど生活言語体験がないまま、いきなり「This is a pen.」「I have a pen.」の学習言語体験から授業が始まります。そもそも、見ればわかることを、ふだんの生活においてわざわざこのようにいうでしょうか。言葉は何のためにあるのかを無視して、ただ覚えればいいという学習を、日本は50年も60年も続けてきて、今もまだ大きな改善はされていない状況にいるといってよいでしょう。

 このような授業では英語が嫌いになる人もいるはずです(図2)。赤ちゃんが言葉をコップに溜めてから使うようになるまでの流れを、ここでも活かすべきでしょう。

音だけでなく心も聞き取るための言語教育

 では、外国語はいつから始めればよいのでしょうか。私は何歳でもかまわないと思っています。原語で小説が読みたかった、専門分野で必要になった、ビジネスで必要になったといったきっかけで英語力を獲得する人が多数いることを考えれば、それが可能であることがわかります。

 ただ、幼児期から英語の体験をさせるならば、平易な単語を聞いて反復する体験をゆっくり重ねていく、コップに水を溜める時間がたっぷりあるといえます。私がプログラムを設定している昭和こども園や昭和小学校では、リスニング活動をしっかり時間をかけて行うことを大切にしています。

 だからといって、小さいころから英語に触れていれば、英語が得意になるかといえば、必ずしもそうとはいえません。英語を聞く耳はできても、使っている言葉が幼児の言葉のままでは知的な会話はできません。言葉は知的レベルに合わせて増えていくものですから、単に英語が聞こえる世界に置いておけば上達するというものではありません。

 音を聞き取るだけでなく、相手の心を聞き取ろうとする、それが言語教育においては一番大切です。英語も同じで、幼児期は人と触れ合う楽しさを十分感じさせてあげたいものです。

 しかし、英語にたくさん触れさせようとしても、子どものほうは「今はまだいらない」という場合もあります。子どもの気持ちが向いている方向を見てあげないと、反発して嫌いになってしまいかねません。小学校低学年のころまでは、ステップではなくスロープを上るようにゆっくり進んで行くことです。山に登るのと同じで、振り返ったら、「こんなに高いところに来ちゃったんだ」というくらいでいいのです。

 生活言語体験から学習言語体験に切り替わる時期は、人それぞれです。社会に出るまでには20年近くもあるのですから、十分に時間はあります。焦らず、一人ひとりの成長をサポートしていくことが大切です。

冊子「スクールダイヤモンド2018年新春号」より